【地域のおはなし】歴史編 -千本松原-

2022年09月01日

【地域のおはなし】治水工事 ②千本松原

  (①宝暦治水工事、②千本松原、③ヨハネス・デ・レーケ)

 

  では、何故千本松原か。

  千本松原に植えられている松は「日向松(ひゅうがまつ)」という、

  宮崎県の松になります。

 

  鹿児島なのに宮崎?と思う人も多いはず。

  今では、日向松と聞くほうが珍しいですが、

  『霧島松』と聞いている方のほうが多いでしょう。

  あか松でもある霧島松のことが日向松らしいです。

 

  徳川幕府の役人が、

  『薩摩より松苗を持参して植林を致せ』

  と下命したのでは?という推測があります。

 

  資金がそこを突き、余裕のない薩摩藩に

  更に1,000km近く離れた松を運搬させる資金も、

  松苗を購入する資金も、到底あるわけないのです。

 

  当時は、陸路の場合、

    徒歩で関ケ原→滋賀→京都→大阪→

     (帆船)細島港→西都→都城→国分→鹿児島(薩摩)

  です。それは片道だけでも25日以上要するのです。

  今のように、流通の繁栄されていない時代ですから、

  『松を持っていくね』なんていう時代ではないのです。

 

  この細島港は現在の宮崎市にあり、

  その際、薩摩藩士は佐土原藩の屋敷に宿泊しました。

 

  島津藩と親戚筋だったこの佐土原藩は、

  美濃の治水工事を気にかけていた為、

  細島港までに自生している松の苗を取り、

  細島港→桑名城下の七里の渡まで運ばせ、

 

  それを薩摩藩士たちが、

  届いた松苗を泣きながら植林した、

  というのが千本松原なのです。

 

  約40万両にも及ぶ費用は現在の300億円以上と推定され、

  そのうち22万298両は大阪の承認からの借入金。

   (サトウキビの出荷の確約をし、借りたと言われています)

 

  返済は領内の徴収から税に充てられ、

  薩摩藩は、サトウキビが収入源として重視されたため

  サトウキビ栽培を強要し、

  過酷な収奪を行ったんだそうです。

 

  徳川幕府の幕命とはいえ、

  海津市の治水工事を強制的に請け負わされた為に、

  薩摩藩はその後も苦しい思いをしていたのです。

 

  これが岐阜県民のよく知っている『千本松原』と言われる

  油島千本松締切堤です。

 

  海津市油島には薩摩藩士のために募金をし、

  創建された治水神社がありますが、

  これは1938年5月25日に御鎮座されました。

 

  薩摩藩士(義士)の自害した22名のお墓は、

  桑名市にある『海蔵寺』にあります。

 

  その後も、薩摩藩士の偉業を称え、

  1940年7月に千本松原県立自然公園とし、

  国の史跡に指定されました。

 

 

  では、何故、工事をしている人が自害したのか。

  上記に記載しましたが、薩摩藩の人の気持ちになったら、

  今で言うところのパワハラ、いじめがひどいですよね。

 

  仕事したら、途中で方針が変わったから、

  作成したものを目の前で粉々にされ、

  または自らの手で壊すよう指示され、

  作成したものも親会社の社員に壊され、

  自分はその仕事のために借金までして

  工事の対応をさせられているんですよ。

 

  どれだけ、この工事をしていた人が意地や負けん気や、

  誇りをもって挑んでいたか。

  本当に命を懸けていたと思えば、自害も納得します。

 

  この歴史的事実を、小学生の頃だったか中学生の頃は不思議でした。

  工事してる人が自殺するの?と。そんなことから調べたこのお話ですが、

  こんな濃厚なお話だったとは当時は思っていませんでした。

 

  ですが、それが事実として歴史にある以上、

  岐阜県民である1人として、

  薩摩藩の方々に感謝すべきですし、

  おかげで田園風景が当たり前にある土地柄になっています。

 

  個人の感想としては・・・。

  申し訳ないのですが、命懸けてまではちょっと・・・と思う部分と、

  それこそが日本の美徳でもあり、

  日本人らしい生き方なのかな、

  と思う部分もゼロではないです。

 

  何よりも、その家族や薩摩藩の方々が、

  憎んだり恨んだりしなかったのか。

  その相手は誰だったのかを思いました。

 

  そんな千本松原ですが、最近では松くい虫にやられています。

  それを鹿児島県からの援助があり、

  千本松原を維持している、

  というのはご存知ですか?

 

  鹿児島県の方々のご配慮と、

  岐阜県の取り組みのおかげで、

  今も維持されているのです。

 

  私達が今見ている松は、もうすぐで270歳なのです。

 

 

  今回は、千本松原という内容でしたが、

  次回も引き続きこの木曽三川の治水工事について、

  お届けしましょう。