【地域のおはなし】歴史編 -治水工事-
2022年09月07日
【地域のおはなし】治水工事 ③ヨハネス・デ・レーケ
(①宝暦治水工事、②千本松原、③ヨハネス・デ・レーケ)
治水工事編 ヨハネス・デ・レーケ(Johannis de Rijke)
(農林水産省HPなどを参照にしています)
宝暦治水工事から時代を経て、
1873年にヨハネス・デ・レーケ氏が
オランダから招かれます。
1873年(明治6年)兵庫港に到着してすぐ
ヨハネス・デ・レーケは、淀川の改修、木曽三川の分流、
他にも大阪港・三国港・三池港等の築港計画を任されます。
実は、宝暦治水工事を経ても、まだ氾濫があったのです。
有名なお話は1891年に富山県常願寺川改修工事かと思います。
彼のおかげで安定した水流を今でも保たれた、と言われています。
そして、利根川の工事も彼は関わっているので
他の歴史でも知る機会があると思います。
木曽三川の治水工事の計画は下記のような内容でした。
1. 上流域で砂防する(植林、砂防ダム等)
2. 洪水は上流から加工まで分流させないで流す
3. 洪水を流す河道は、深く川幅を狭くして曲がりを少なくする
4. 蛇行した低水をつくり舟運の便を図る
5. 加工に道流堤をつくり土砂を海深いところへ流す
1887年 第一期工事がはじまります。
木曽川すじの海津町成戸から日原まで
木曽川と長良川を分流する。
1896年、第二期工事がはじまります。
第一期より南の三川の中堤の新堤をつくる。
1900年、第三期工事がはじまります。
松の木より上流の揖斐川すじをまっすぐにして新堤をつくる。
1903年、ヨハネスがオランダに帰ります。
1912年、全ての工事が完了します。
1913年、1月20日にオランダ アムステルダムにて享年70歳で他界。
木曽川下流河川改修工事は、明治20年からはじまり、
25年におよぶ大規模な工事でした。
それでも、近代化に向けて技術や産業を取り入れ、
何年先をも見据えた治水工事のおかげで、
今こうして川より低い土地であっても、
大きな災害に当たり前のように見舞われることなくいられます。
今、私達が見ているこの地域の川の形や、
堤防はこの100年前に行われた大規模な治水工事のものです。
千本松原も、堤防を車で走る時に、当たり前のように見ていますが、
これほど歴史の詰まった話も珍しいのです。
数学や力学や水理学に加え、土木工学を勤勉した彼だからこそ
成し得た工事であり、日本の治水の恩人として名を刻まれています。
この千本松原を調べた際、数学の大切さを感じました。
そして何より、岐阜のそんなお話でした。
ご拝読ありがとうございました~♪